トーキョーサンドウィッチ

大阪出身 東京在住26歳 羨望と怠惰に挟まれて、今日も生きています。 Twitter : ry0oooooo0ta

macbookproオーバースペック過剰問題。

ぼくはMac book proを持っている。
割と最近のやつで、USB-cしかついておらず結構な批判を買っていたあいつだ。なかなかイケていると思っている。昨日の夜WWDCとで最新のmacがあーだこーだ騒がしいから、ぼくのPCについて今日は話したいと思う。

 

とはいったものの、そのぼくのイケている割と最近のやつの話というよりかは、どちらかというとその前身となるPCの話をしたい。父からのお下がりのwindowsxpの重い熱いダサいの三重苦(重いはダブルミーニングなので正確に言うと四重苦だ)を備えた超やば過ぎるマシンを除き、初めて自分のPCを手に入れたのが2011年のmacbookair。せっせこ時給制のアルバイトで貯めた自分のお金で買う(なかなかの高額だ)にもかかわらず、なぜか父親にwindowsでなくmacを買うことのプレゼンをさせられたのがなつかしい。
そのときぼくは、macではkeynoteが使えてぼくはkeynoteを使う人生を歩む必要があり、keynoteがないと僕が僕で無くなるのだと、謎に熱弁した。無論keynoteなんか2017年の今もさわったことがないし、ブックマークにはいれずにyahooでググってxvideosを見ていたくらいだ。なんとまあ合っているのはアルファベットの文字数くらいで、まったくのデタラメを吐いていた。keynoteはおろかword、いやアナログな付箋にも満たないぐだぐだなプレゼンで、ぼくのそのkeynoteにかける熱意はどうやら父親に伝わり、macを購入させていただけることになった。僕の父親は有り難みを持たせるために、大阪はなんばのヤマダ電機の片隅で2万円を援助してくれた。服に全力投球して友人と飲みに行くお金もない苦学生には有りがたい金額であったが、せっかく頑張った自分で稼いだお金で、自分のための自分だけのPC、それもkeynoteが使えるmacを手に入れたかった。少しでも自由になりたかった僕には複雑な気分だった。
大学3年生くらいからどこにいくにもとりあえずそいつを持って行った。よくわからないのになんかレアそうなビックリマンシール(復刻版のスーパーゼウスだ)やヴィレッジヴァンガードのコーナーにはギリギリ無さそうなアングラ感を出せそうなステッカーを僕は少し父親に援助してもらったmacにベタベタと貼った。ベンチャー企業のシールをいっぱい貼ってなんか自分がイケている風味を出してくる社会にスレた学生とは一線を画した感じを出そうとがんばっていた。(結局そんなことをしても彼らよりレベルが一千は格下だった。こんなおじさんみたいなこと言ってるくらいだから。)
仮にこいつの名前を太郎としておこう。太郎は就活のときも、ぼくが鳥取で一人18歳に混じって免許をとりながら卒論を書いていたときも、京阪電車の片道55分で途切れ途切れするwi-fiのなかのネットサーフィンのときも、よく頑張ってくれた。スタバでドヤではないが、ぼくのよく通っていた京都は三条御幸町の交差点にあるタリーズにおいてもそう悪くはない見た目で頑張ってくれた。もちろん、ひとり夜に盛んな思いがしたときにも頑張ってくれた。何を頑張ったかと言うとよくわからない。たった128GBのSSDのほとんどはTSUTAYAやGEOしたJ-POPや邦ロックで埋め尽くされていた。結局macにしかできないことなんてほとんどなかった。mac book air 11inchじゃなくてもいいことがほとんどだった。でも、ぼくは太郎でよかったとおもう。太郎はこんなPCに弱い僕に対しても頑張ってくれたからだ。何を頑張ってくれたかはよくわかってないのだけれど。
 
でも、そんな太郎がここ1〜2年でめっぽう調子が悪くなってしまった。充電の接触が悪く、スーパーファミコンのソフトをふーふーするがごとく、20回くらい抜き差ししてやっと緑のランプがつき、それも気がついたらふっと消えてしまう。PCに疎い僕でも充電側が悪いのかどうか、他の充電器を用いて試してみたが、どうやらそういうわけではなかったので太郎が弱音をあげちゃったとみた。それくらいから太郎と僕は疎遠になった。家を引っ越したタイミングとも重なりDJの練習(僕はJ-POPを原曲のままかけることにこだわりを持つタイプのDJをしていた。アンセムはいつも、和田アキ子だった。)も疎かになってしまい、いろいろなことはスマホメインで行うようになった。フリック入力のおかげであまり不便は感じないようになったし、腹筋のないぼくはPCを太郎を扱うためのポーズを模索するよりもいろんな角度でスマホを見ている方が体勢として楽だった。
とはいえ一応ITやWebの会社にいる身分としてPCがお蔵入りしているのはイケていない気が昨年のはじめくらいからした。プログラミングもちょっと勉強したけれどあんまり身入りすることはなかったし、何かがやりたい、必要にかられるってことはなかったけれどPCを、それも使うことに不自由のない綺麗なPCがほしいと思った。もっともらしい理由の一つとしては、最近になって簡単な動画を作成する必要があり、それも会社で使う運びとなり、奇しくも太郎のスーパーゼウスがこの歳になって恥ずかしくなったということがある。せっかく日の目を浴びたというのに、買い替えのきっかけになるとは、ゼウスがかわいそうだった。(僕の数少ないPCスキルのなかのひとつ「検索」をかけると、ゼウスのキャラクター設定がでてきた。「女性とお金に弱いのが弱点で普段はひょうきんな性格をしているが、諦める時は諦める」。めちゃくちゃ僕みたいなやつじゃないか。)
 
まあ、そのようなわけで太郎の次のモデルを買うことを検討した。次のPCももちろん、macにすることは決めていた。なぜなら、keynoteが使えるからだ。いや、収まりがいいからだ。ぼくくらいの形から入るやつにとってmacは本当にちょうどいい。もう少しPCに詳しければ真っ黒なVAIOを使ったりすることが逆に格好いいのかもしれないけれど、そんなうんちくを蓄えるほどにもPCに興味がない中、macはちょうどよかった。キャンプ初心者がsnowpeakを選ぶように、高校生がNORTHFACEのリュックを背負うように、ウェイウェイした大学生がARC'TERYXを着てサークルに行くように、macはとてもちょうどよかった。どのモデルにするかなんてあまり悩みたくなかった。シンプルに、次のやつが出たら、そのなかで一番手頃なやつを買う。それだけだ。ぼくはこのトーキョーサンドウィッチという名前が付けられることになるブログも始めたかったし、それを言い訳としてmacを買うことにした。2016年の5月のことだった。
ぼくはもちろんAirの最新版を楽しみにしていた。macbookはなんか小さい気がしたし、proはいかんせん重すぎる。Airがちょうどいいことに疑いはない。強いて言えば13inchのほうがなんとなく良さそうだとかそのくらいだった。しかし、macbookairの新作が発表されることはなかった。
これはめちゃくちゃに困った。新しく発表されたのはmacbookproだけだった。(と思う。違うかったら謝る。それくらいの興味であるということだ)ぼくはシンプルに新しいものを買うと決めていたから発表前からあったmacbookairはあまり選択肢にいれたくなかった。なぜなら新しいものを買うことがクールであると思っていたからだ。とはいえmac book proはやりすぎな気がしていた。こういうときはスペックを詳細に見てみるべきだ。僕が目をつけたのはtouch barのついていない一番シンプルで安いタイプのそれだ。どうやらかつてのmacbookairの後継モデルと言われるようになかなか軽量化されているし、retinaで画面がキレーナだし、何より最新型であるということがわかった。値段も15万円少々。macbookairから考えると少し高くなるが、まあ最新版を買うことを決めていた僕には仕方のない出費だった。今回は大阪の難波ではなく、新宿のヤマダ電機で誰にプレゼンをするでもなく人、知れずmacbookproを購入した。USB-cは互換性がない(と聞いた)ため、純正のアダプターも一緒に購入した。あの日の苦学生も5年も経てばようやく自分のお金で稼いだ、自分のための自分だけのPCを手に入れることができた。
後に会社の機械に強い方々からtouch barがついていないのはあんまりベターでないだとかいろいろ突っ込まれはしたが、僕としてはなかなかいい買い物をしたと思った。macbookproの最新型が買えたからだ。買い物に関しては自分がその価値を認めてすっきりすれば、それが正義だ。スーパーゼウスなのだ。
 
かくしてぼくは(当時)最新型のmacbookproを手に入れたわけだが、もちろんのごとくオーバースペックである。(タイトルにはNUMBER GIRLを意識してオーバースペック過剰と書いたのであり、「過剰」成分が過剰だったことは「敢えて」であることは補足しておきたい。)このように気が向いた時にブログを書くのに使うか、せいぜいこちらも最近買ったカメラの写真を取り込むか(ここで同時購入したUSC-Cのアダプタが非常に役に立った。)インターネッツを眺めるかである。そんな僕にmacbookproのスペックは有り余っていると思う。でもそれでもいい、それでもいいと思える恋だった。と、ちょっと太ましいHYのお姉さんが歌っていたように、それでもいいっていうか、どうでもよくなってきた。インターネッツの偉そうな人たちはmacを使った僕みたいな形から入ったやつをとにかくバカにするが、バカにされてもいいと思っている。なぜならkeynoteを使えない僕はバカだからだ。人からの視線は気にせず、シンプルに自分がいいと思ったものを使うバカでいいと思った。清々しくバカと認めることにより、逆にかっこいいmacbookproの使い手となりたいと思った。
 
そんなこといいながら、今年の発表で前モデル買ったやつざまぁwwwとかいうタイトルを見て哀しくなったのは事実。大幅値下げ!に日本が入ってなくてむしろ値上がったことにむしろにんまりしたのも事実。オーバースペックなマシンを持つぼくも、PCに負けず劣らずの心にありあまる容量とも言うべき余裕を持ちたい。まずは、明日の朝コーヒー(ちょうど最近いい豆を仕入れたのだった)を淹れるところからはじめようと、いつもより10分アラームを早め、このイケている割と最近のPCで記事を書き終え更新して安らかな眠りにつくことに、たった今決めた。