トーキョーサンドウィッチ

大阪出身 東京在住26歳 羨望と怠惰に挟まれて、今日も生きています。 Twitter : ry0oooooo0ta

コーヒーを淹れるの「淹れる」がエロい

朝(もはや昼に近い)起きて、コーヒーを淹れた。
 
形から入るタイプの僕は随分前から
コーヒーは豆からという当たり前のスタイルを確立している。

 

いつものようにバルミューダのポットに水をため
スイッチをonにしてから、
適正な量、適切な種の豆をミルの中でゴリゴリ。
その一連の作業は幸せを浴びせることが多く
若いうちに買ってでもしたい
数少ない仕事のうちのひとつであるが、
思考がリセットされがちなゴリゴリ中に
コーヒーを「淹れる」ってなかなかにエロい。
そのことが気になってしまった。
 
リセットされた末にエロスにたどり着くとは
本当にリセットされたのかどうか怪しいが、
やっぱどう考えてもよく練りこまれたマスターピースさがある。
 
まず「氵」がいい。
この部首には小学1年生からお世話になっているが、
「液」「濡」「池」「汁」など、どこか漢字をエロくする才能がある。
よくよく見直すと「液」に至っては夜の水。
小さな子供には目を閉じ耳を塞いでいてほしいくらいのパワーワードだ。
氵がつくだけで、すこしエロさの下駄を履かせることができる。
 
その「形」もいい。
滝のように見せて滝でない。
滝までは激しくない様を表したのだろうか、
その奥ゆかしさもいい。
また、送り仮名の「れる」も一役買っていて、
単独では出せないその味を引き立てており、痺れる。
小さなアートである。
 
そこに被せた「語感」も最高だ。
「挿れる」のような直球ストレートがありつつも、
ことコーヒーにおいては豆を煎れるなどの
サブストーリーがあるので、
使うべくして使った「ireru」であるという意味性が
堂々とした佇まいをより一層強くし、そこがいい。
(今気づいたが「ireru」は少しかっこよすぎだ)
 
使い道としてもなかなかクールである。
今何してるの?と連絡がきたとき、
「コーヒーを淹れてる」
これを言われるとひとたまりもなく、
暴力性よりも社会性がヒエラルキーを作る現代社会においては
劣った気分になる。
そして少し冷静になったあとには、
今豆を挽いているのだろうか、お湯を注いでいるのだろうか、
いや、お湯を注ぎながら返信いただくわけにはいかないから
もうコーヒーを嗜んでいる最中なのだろうか、
いやそれだとコーヒーを淹れてるには当てはまらないのでNO、
なるほど、少し季節を先取った水入れコーヒーなのだろうか。と、
想像を膨らませてしまう効果をもつ。
この想像を強いるその強気な態度がひときわエロスを強くする。
 
 
こんなことを書きながら
そういえば今何しているのか聞かれることがないことを思い出した。
はやく「コーヒーを淹れてる」と他人に伝えたい欲が生まれる。
あくまで能動的な発信でなく受動的に。
あたかも当然の行為であるかのようにさらっと、それがセクシー。
 
僕にもこのセクシーが欲しいと羨む気持ち。
が、淹れたfuglenのコーヒーがやや冷めてもまだ美味しいという救い。
 
 
良い休日だ。